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国登録文化財
本 堂 随求堂 弁天堂 薬医門
犬山市指定文化財
継鹿尾山図 織田信長公画像 二十八部衆画像 道昭和尚画像

 国登録文化財

 本 堂 【本尊】(秘仏)千手観世音菩薩

裏面から見た本堂   現在の本堂は明治12年(1879年)に12代当主の時代に再建された。桁行5間、梁間5間、寄棟造、正面1間向拝付、桟瓦葺で、4周に切目縁を廻す。 前2間分を吹放しで小組格天井の外陣とし、後方の内陣には禅宗様須弥壇を構え、厨子を置く。 軸部は円柱で、組物は出組とする。装飾を押さえた伝統的形式になる本格的な本堂建築。 平成17年(2005年)に国登録有形文化財に登録されている。
本尊の千手観音は秘仏で60年に一度の甲子年に限って御開帳される。最近では大正15年、昭和59年に御開帳があり、 例外として「平成大修理」落慶記念で平成22年にも御開帳されている。秘仏千手観音厨子のお前立ちの像は南北朝時代の作とされている。

 随求堂

文化2年銘の擬宝珠、内部柱に天保年間の墨書があることなどから、文化2年の建築と思われる。 本堂西に東面して建ち、渡廊下で結ばれる。桁行5間、梁間3間、一軒、入母屋造、桟瓦葺で、4周に擬宝珠高欄付の切目縁を廻す。 軸部は角柱で床下部を高く作り、縁を絵様付持送り板で受ける。側廻りに蔀戸を多用した住宅風の外観は籠堂の性質を示している。
平成17年(2005年)に国登録有形文化財に登録されている。
  渡廊下で本堂と結ばれる随求堂


 弁天堂

弁天堂と紅葉   本堂北方の高所にある。弁天像台座裏に文政3年(1820年)の墨書銘があるので同時期の建築と考えられる。 ほぼ正六角形の平面をもつ小堂で、前半を吹放しで板床張の見世棚風とし、中央境に格子戸を設け、後方を板壁で囲った内陣とする。 柱や屋根を六角形につくり、天井の棹や垂木は放射状に配る。平成17年(2005年)に国登録有形文化財に登録されている。

 薬医門

山門は継鹿尾(つがお)山麓の西側に位置し、庫裏(くり)の正門である。棟札により、天保7年(1836)に尾張藩御大工の竹中泉正敏により建築されたことが分かる。 薬医門の傑作である。1間一戸薬医門(やくいもん)で左右に袖塀(そでへい)、潜戸一戸付、二軒繁垂木、切妻屋根、桟瓦葺である。 男梁(おばり)を本柱上の冠木(かぶき)から控柱まで架け渡し、両端に出三斗組(でみつどぐみ)、中央に平三斗組(ひらつどぐみ)を配して、 虹梁(こうりょう)を支持し、大瓶束大斗実肘木(たいへいづかだいとさねひじき)で化粧棟木(けしょうむなぎ)を支え、 牡丹の笈形(おいがた)を付ける。

扉は八双金物(はっそうかなもの)、乳金物(ちちかなもの)、菱形鋲(ひしがたびょう)を打ち、 冠木上中央に群猿の彫刻を置き、女梁(めばり)、男梁(おばり)は絵様木鼻付き、背面側虹梁上には龍の彫刻を配する。 屋根は現在桟瓦を載せているが、当初は本瓦葺きであった。平成17年(2005年)に国登録有形文化財に登録されている。
  山門(薬医門)


 犬山市指定文化財

 継鹿尾山図

昭和5年に描かれた鳥瞰図です。吉田初三郎が描いた当時の寂光院が描かれています。 上等な岩絵の具で描かれているのでいまだに色鮮やか。 犬山市の文化財に指定されています。 鳥瞰図というのは、鳥が高い空から見たらこのように見えるだろうという図。 この中には全国、台湾(当時は日本領)、東京、富士山まで描かれています。 鵜飼、日本ラインくだりの舟、帆掛け舟、煙を上げて走る汽車、寂光院の参道は渋滞するほどの車が描かれています。

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 中興織田信長公画像

全 体
 (江戸時代初期)

織田信長公寺領安堵状
永禄8年(1,565年)9月18日、織田信長公が柴田勝家を伴い参詣のみぎり、
当山を清州城の鬼門鎮護の霊刹として黒印50石、山林50町歩(15万坪)を寄進

 千手観音二十八部衆画像/開山道昭和尚画像

千手観音二十八部衆画像
(室町時代)
   開山道昭和尚画像
(安土桃山時代)


二十八部衆(にじゅうはちぶしゅう)
千手観音の眷属。 東西南北と上下に各四部、 北東・東南・北西・西南に 各一部ずつが配されており、 合計で二十八部衆となる。
<フリー百科事典 Wikipediaより引用>




継鹿尾観音 寂光院
〒484−0091 愛知県犬山市継鹿尾山
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