道昭和尚は入唐僧で、三蔵法師玄奘より法相教学を学ばれました。当山も法相宗の学問寺として
「尾張に継鹿尾山あり」とうたわれ、後に臨済宗妙心寺派の中興の祖(犬山瑞泉寺の開山)となら
れる日峰禅師を始め、宗派を問わず、沢山の名僧博識が当山から出られました。
時移り永禄八年九月十八日織田信長公は当山に参詣の折、当山を清州城鬼門鎮護の寺と定め、
黒印五十石・山林五十町歩を寄進、以後当山は真言宗の寺となります。
当山では織田信長公を「中興の祖」、時の住職・慶源和尚を「中興上人」と慕っております。
また当山は木曽川を見下ろす山寺ですので山岳修行の場でもありました。
修験道の祖「役の小角」は大変崇められ、前鬼・後鬼を従えた「役の行者」像を拝する人は今も
後を絶ちません。