鎮魂碑 <本堂裏の馬鳴堂南側下>

先の大戦で中国よりビルマへ転戦、インパール作戦の悲惨な戦闘も体験し生還した隊員が戦友の慰霊の為、 建立したもので一枚岩の大石碑です。
岐阜県出身の政治家、大野伴睦氏の揮毫。
野戦高射砲第五十一大隊鎮魂碑 通称名:森第3629部隊




鎮魂碑 碑 史

野戦高射砲第五十一大隊(森第三六二九部隊)は昭和十六年七月十六日 満州国牡丹江省綏陽県二道岡(綏南)に駐屯中の高射砲第十三連隊において編成された 部隊である。 完結と同時にソ満国境東寧付近の防空警備に就き、同年十一月南方轉用の 命を受け、第二十五軍司令官の隷下に入り、南満州コロ島港を出航 東支那海を船団を組み航行中の十二月八日大東亜戦争勃発 直ちに泰国シンゴラに上陸対空戦闘を交えつつ、 マレー半島を南下、シンガポール攻略作戦に参加した。 つづいてビルマ国へ轉進のため、印度洋を北上、昭和十七年三月 ラングーン港に上陸 直ちに軍直轄及び各師団配属となり侵攻作戦に参加各地に轉戦  一部は遠く中国雲南省竜陵方面に、又悲惨言語に絶するインパール作戦にも参加した。 戦況不利になる頃には北ビルマより南部沿岸地区に亘る各種の激烈な作戦に参加し 戦闘行動中昭和二十年八月十五日 ビルマ国モールメインに於いて終戦 英軍の武装解除を受け屈辱を忍び労役に服し翌二十一年七月大竹港に復員祖国の再興を誓って解散した。 この間武勲に輝く幾多の戦果をあげたが第三代大隊長浦中佐を初め四百余名の尊い人命を 損なうこととなった。戦友達の尊い英霊を弔いその功績を顕彰するため生還の戦友から 浄財を募り由緒ある霊場継鹿尾山の山頂に昭和三十八年八月この碑を建立す。 願わくば英霊の安らかに 永眠せられんことを 戦後既に五十有余年生還者も年老い体調の不調、また鬼籍に入った戦友も多く鎮魂碑の祭祀支障を来すを慮り この碑に戦歴を記し永代供養を寂光院山主に依頼す。 平成九年四月吉日

 碑文



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